開発ものがたり

はじめに

トチュウエラストマーの開発にあたり、トチュウという植物に関わってきた日立造船株式会社の四半世紀に渡る「杜仲」の物語を紹介します。大阪大学Hitz協働研究所はこの劇的な変化の潮流により創成されました。

杜仲茶事業

バイオ事業部創成期

昭和61年、瀬戸内海工業地帯のひとつ、造船業により栄え「夢の島」として知られている因島市(現:尾道市)の日立造船株式会社因島工場は、造船不況による大リストラに見舞われました。数千人の従業員が数十人となり「島が沈む」とのタイトルでNHK特集が組まれるなど、まさに島経済存亡の危機を迎えていました。また、その頃の日立造船の従業員の間では「去るも地獄、残るも地獄」と言われ、船造りに代わる新規事業の創成こそが「夢の島」の継続させる目標となっていました。

日立造船のバイオ事業部はこのような経済状況の中、造船不況対策として当時の第一次バイオブームに乗って「バイオアイランド」構想のもと因島工場に発足しました。しかし、船造りは出来てもバイオに関するベース技術は全くなく、技術研究所、生産機械を作るプラント、設計部門のプロパー、それに造船所である因島工場のスタッフが集まった寄り合い所帯が畑違いのバイオ分野で新規事業を探して模索する毎日でした。

発足当初は杜仲茶のほか、ヒラメ、アワビ、タコなどの養殖、ミカンブランディーの製造、野菜の水耕栽培など、様々な一次産業の延長事業を行いました。また、自主開発だけでは難しい部分は国などから援助を受けた補助金事業として取り組み、木質粗飼料開発、太陽光発電による海水からの水耕栽培、室内緑化開発、海洋バイオ研究所への参画など、あらゆるテーマの事業化を試みましたが、なかなか新事業の芽は出ませんでした。しかし、このような取り組みの中で唯一生き残った事業が今も販売される「杜仲茶」の事業だったのです。

杜仲茶シリーズ(平成6年度当時)
杜仲茶シリーズ(平成6年度当時)

この日立造船による杜仲茶事業は、当初、たった4名の販売スタッフからスタートし、発足年の売上はわずか400万円(昭和61年末)の事業でした。しかしその後、売上高は倍々ゲームで増加し、平成2年には売上高4億5千万円の事業へと成長しました。

これを受けバイオ事業部は杜仲茶を専業とする事業部へと姿を変え、さらに平成5年9月の民間テレビ放送の健康特集が火を付けた杜仲茶ブーム(平成5-6年)の追い風を受け、累計売上100億円を超える事業へと成長しました。なお、これにより、すでに収益性は他の事業部と同格となりましたが、造船会社である日立造船には当初、会社の事業内容を表す定款に「食品」事業分野の記載が無かったため、杜仲茶事業は初期の段階では「日立造船船舶設計事務所」を製造販売元(平成元年定款変更)として販売することもありました。

杜仲茶工場開所式典(平成7年冬)
杜仲茶工場開所式典(平成7年冬)
原料工場(中国・四川省)
原料工場(中国・四川省)
困島市の雇用促進につながった杜仲茶工場(平成7年当時)
困島市の雇用促進につながった杜仲茶工場
(平成7年当時)

このようなミスマッチが業界の話題となり口コミで販路が広がったことや、旧財閥系の日産懇話会(現春光会)を介した給湯ポット一体型営業展開といった販売方法も功を奏し、杜仲茶事業は優良事業へと育ちました。今もこれらの事例は、コンシューマー製品を扱うマーケティング戦略としては非常にユニークな話題として取り上げられることがあります。

一方で杜仲茶事業の成長を受け杜仲茶生産量も増加の一途をたどりましたが、平成5年秋には原料の国内調達が困難となるほどの状況となり、このため日立造船バイオ事業部では中国・四川省成都市近郊に現地輸出公司を、また、総合商社の丸紅と共同で原料生産工場を設立しました。
更に、平成7年には因島工場内に杜仲茶工場を新設し原料の焙煎からティーパック製造、袋詰めから発送までの人員を採用して、かつてはリストラにより人員減をせざるを得なかった状況から近隣島嶼部の雇用促進を果たせるまでになりました。

営業体制は因島、東京、大阪に事務所を設けて全国展開し、「からだよろこぶ」「植物性微量元素飲料」という当時の食品業界としては非常に際どいコピーのもと、杜仲茶のテレビCMを7時、18時、23時台に全国ネットで放送し、同年のグッドデザイン賞を取得しました。余談ですが、それまで「杜仲」という言葉は日本ではまだ一般的でなかったため、事業拡大に向けてマスコミを通じて多くの特番を組んで「杜仲」いう言葉の普及・周知に随分、労力を使いました。
その甲斐あってか、または、その後の杜仲茶の販路拡大、販売量増加の効果か、広辞苑四次改訂時では「杜仲=とちゅう」という固有名詞が登録されるようになり、日本における杜仲の認知度は、日立造船の杜仲茶事業により国民レベルに達したとも言えるかもしれません。
また、今ではすっかり一般化したウーロン茶とともに、杜仲茶は日立造船バイオ事業部の取り組みにより中国茶ブランドという食品の新規分野を切り開き「異業種参入」の成功事例として東京都の小学校教材(当時)やMBAの話題に時々取り上げられます。

ヘルスケアー事業への発展

平成5年のテレビ放送以降の杜仲茶ブームは、杜仲茶の類似商品を市場に溢れさせました。また、ウーロン茶をはじめ様々な茶飲料が市民権を持ち各社から販売されるようになる中で、杜仲茶と他のお茶を混ぜ合わせたブレンド茶という新しいジャンルも形成されるようになりました。
ブレンド茶は現在でも混合茶として広く流通されていますが、このような各種の茶飲料が店頭に並ぶようになった結果、バイオ事業部では市場における杜仲茶の他社製品との差別化を強く迫られる事態となりました。

このころからバイオ事業部で注目していたのが機能性食品としての開発です。また同年に栄養改善法の改正があり、食品の機能性表示許可制度による「特定保健用食品(トクホ)制度」が発足しました。
技術研究所とバイオ事業部では平成4年よりトクホの開発に取り組み、安全性試験、動物試験、ヒト臨床試験などを行って、平成5年厚生省に表示許可申請を行いました。2年間の審議期間を経て、平成8年5月には商品名「杜仲120」として「血圧が高めの方に適した食品」という表示許可を取得しました。

初期のトクホ市場は整腸作用に関する許可表示のみであったので、実はこの「血圧」という生活習慣病領域の表示許可を得たことは食品業界を震撼させる事態となり、多くの企業がトクホ開発に進む動機付けとなりました。その後のこのジャンルは、平成23年度の「血圧」トクホのみで230億円の市場へと成長しており、日立造船の杜仲事業はそのさきがけとも言える役目を果たしました。

血圧「トクホ」1号 杜仲120
血圧「トクホ」1号
杜仲120

杜仲茶におけるトクホの取得により、杜仲事業のヘルスケアー領域への営業転換は加速することになりました。
一般食品の杜仲茶シリーズにも「固有成分」表示を設ける営業戦略を展開し、トクホと同一の成分が含まれることの優位性を強調した表示を商品に記載しました。また、その後も臨床試験を重ねて進化させ、飲用量一日1本(それでは一日3本)の表示許可を国から取得しました。
これらのトクホ商品は、のちにバイオ事業部の1/3の売上を担うまでに成長しましたが、当初はあまりにも新規性が高いため消費者への認知が伝わらず営業展開に苦戦しました。そして、後発で「血圧」表示許可を取得した「カルピス・アミールS」が元人気野球監督選手を起用したテレビCMによりヒット商品となり市場を席巻するといったことも起きました。
なお最終的には、杜仲のトクホは量販ルートから外れて通販商品となりましたが、リピート率の高い顧客に支持されて根強い人気を得ました。

このように、造船不況から始まった日立造船バイオ事業部の杜仲事業は、異業種参入の新規事業として大きな成功を収め、会社の収益に貢献する大きな事業として育ちました。その後一般顧客を相手とした杜仲の販売事業は、企業を対象とした日立造船の他の事業と管理営業体制があまりに異なるため、平成11年2月に小回りの効く独立事業形態として100%子会社の「日立造船バイオ」へと発展しました。以後、平成15年までの4年間は営業・製造販売は子会社が行い、開発は親会社が子会社と協働で行うという連携形態で進められました。